イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

継承の哲学史:ハイデッガーの場合

 
 論点:
 弟子は、師が予想することのなかったやり方で師の教えを引き継いでゆく。
 
 
 これは、教えの神秘とでも呼びうる領域に属する事柄である。
 
 
 弟子は途中まで、あくまでも師の教えを忠実に守ってゆこうとするのだが、ある決定的な地点において、師の教えよりも一歩踏み出してしまっている自分に気づくのだ。
 
 
 ただし、最初から「自分のオリジナリティを出してやる」と気焔を上げているだけでは、よき弟子たりえまい。師の教えは真理そのものであり、自分の務めはそれを学びとることだけであると思っていた弟子が、いわば自身の意志に反して未曾有の何かを掘り当ててしまうという出来事にこそ、教えの神秘の中核が存するに違いない。
 
 
 哲学史についても、こうした継承のドラマについては、いくらでも具体例を挙げることができるであろう。たとえば、『存在と時間』を書き上げた頃のハイデッガーがそうだ。
 
 
 超越論的現象学という師の教えを学びとったハイデッガーは、決定的なところで師であるフッサールの探求から一歩を踏み出した。フッサール現象学はあくまでも「超越論的意識」の現象学であり、その点から言うと、デカルト以来の近代哲学の極北という意味合いが強かったのであるが、ハイデッガーはその現象学を、ギリシア哲学において提起された「存在の問い」への回帰と読み替えたのである。
 
 
 ハイデッガーと共に「現象学(レゲイン・タ・ファイノメナ)」は、もはやデカルトの問いではなく、パルメニデスアリストテレスの問いの反復となり、哲学史の深淵へと切り込んでゆくこととなった(今や無時間的な真理ではなく、むしろ真理の根源的な歴史性が問題とされることになろう)。ハイデッガーの哲学によって、フッサールが探求していたことのすべてが汲み尽くされるわけではないが、大方としてはやはり、ハイデッガー現象学に対して行った「踏み込み」は、哲学そのものに対して大きな寄与をなしたのではないかと考えざるをえないように思われる。
 
 
 
子弟関係 哲学史 存在と時間 ハイデッガー フッサール 現象学 デカルト ギリシア哲学 存在の問い 現象学 パルメニデス アリストテレス トマス・アクィナス 存在の類比 パルメニデス ボエティウス 中世哲学
 
 
 
 話は逸れてしまうが、ハイデッガーによるこの「踏み込み」の意義は、非常に大きかったのではないか。何よりも、哲学問題の焦点を「存在の問い」に絞り込むことによって、哲学史をとてつもなくクリアーに見通せるようになったという利点は否定しがたい。
 
 
 「存在」という問題設定を通して古代の哲学史を眺めてみると、パルメニデスの「ある」からアリストテレスの「実体」にまで至るギリシア人たちの思考の軌跡は、まさしく「存在するということ」の探求に他ならなかったように思えてくる。また、ボエティウスという巨大な先人によって礎石が敷かれ、トマス・アクィナスによって偉大な完成を見るに至った中世哲学の伝統においては、「本質」と「存在」という概念対こそがその中核をなすものであった(トマスの「存在の類比」は、この概念対に対する長い思索の伝統が生み出した、決定的かつ激アツな「最終解答」にほかならぬ)ことは、この時期の哲学に通暁する誰もが認めるところであろう。
 
 
 さらに、デカルトから始まる近代のコギト哲学路線までもがダイナミックに「現象学」として「存在の問い」に集約されてしまうとなると(尤も、この点については、人によっては大いに反論することもありうるが)、もう哲学って、最初から最後まで一貫して「存在」一本で通してきたんじゃねという感さえもあながちには否定できないのである。というか、筆者自身としては、この整理で基本的な方向としてはいいのではないかと考えているのだが、ともあれ、本題からだいぶ逸れてしまっているので、次回以降は、引きつづき師弟関係についての省察を掘り下げてゆくこととしたい。