イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「精神の革命」は決して、終わることがない:『ソクラテスの弁明』について、論じ終えるにあたって

 
 死刑の判決が下されたのち、『弁明』のソクラテスは、これからアテナイで起こるであろう出来事について、一つの「予言」をすると言い始める。少し長くなってしまうが、その箇所を引用しつつ、検討してみることとしたい。
 
 
 「諸君よ、諸君はわたしの死を決定したが、そのわたしの死後、間もなく諸君に懲罰が下されるだろう。それは諸君がわたしを死刑にしたのよりも、ゼウスに誓って、もっとずっとつらい刑罰となるだろう。なぜなら、いま諸君がこういうことをしたのは、生活の吟味を受けることから、解放されたいと思ったからだろう。しかし、実際の結果は、わたしの主張を言わせてもらえば、多くはその反対となるだろう。諸君を吟味にかける人間は、もっと多くなるだろう。[…]そして彼らは、若いから、それだけまた手ごわく、諸君もまたそれだけ、つらい思いをすることになるだろう。
 
 
 状況を整理してみよう。ソクラテス自身が用いている比喩を継続して用いるならば、彼を死刑へと追いやった人々は、「目覚めることを拒否した人々」であった。「気づかい」を目覚めさせて自らの実存に振り向けることは、日常性の次元を踏み越えて、「実存の本来性」の領域へと突き進んでゆくことを意味する。この点、「気づかいを向け変えよ」というソクラテスの呼びかけは彼らにとって、鬱陶しいどころか、忌むべきものに他ならなかったとも言えるかもしれない。
 
 
 さて、彼らは念願叶って(?)、ソクラテスを殺すに至った。これでもう「目覚めよ」などという余計なことを口にする人間はアテナイからはいなくなったわけで、彼らとしては、ようやくひと安心と思われたかもしれない。
 
 
 しかしながら、ソクラテスの主張するところでは、事態は全くそんな風には進まないのである。むしろ、彼らアテナイ人たちの生活を吟味し、「気づかいを向け変えよ」と説く哲学者たちの数はこれから先、さらに増えてゆくことであろう。彼らはいわば、引いてはいけないトリガーを引いてしまったのである。哲学を根絶しようとして、かえって火に油を注いでしまったのである。
 
 
 かくして、「精神の革命」に乗り出したソクラテスは自らの死にあたって、次のように宣言していることになる。「わたしが死ねば全ては終わるだろうと思っているならば、おあいにくさまだ。『魂への配慮』、あるいは『自己への気づかい』という途方もないイデーが現れてくる以前の状態に世界を戻すことなど、誰にもできはしないのである。未来の若き哲学者たちは、わたし以上に手強いやり方で、知略と概念の限りを尽くして、哲学の戦いを苛烈に戦い続けることであろう。
 
 
 
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 上に引用した『弁明』の文章を書きつけていたとき、プラトンは一体どのような思いのうちにあったのだろうか。一つだけ確かことがある。それは、『弁明』のソクラテスが語っていたこの「予言」は、現代にまで連綿と続いている「哲学者たちの群れ」の出現によって、実際に成就したという事実にほかならない。
 
 
 問い:
 「私たち人間はたった一度限りのこの生を、いかにして生きるべきか?」
 
 
 言うまでもなく、この問い自体を問うた人間はソクラテスの以前にも、数多く存在したことだろう。しかし、哲学の歴史においてソクラテスが行ったことは、まさしく未曾有の革命とも言うべきものであった。すなわち、彼は生涯をかけて、この問いを同胞たちに向かって投げかけ続け、この問いのために死んだのである。これ以後、哲学の歴史は彼が提起した「自己への気づかい」というイデーを、決して忘れ去ることができない。このイデーは時代を越え、形を変えて、何度でも繰り返し哲学の戦場に蘇ってくることになるだろう。
 
 
 「現存在がそれに対してあれこれとかかわることができ、つねになんらかのしかたでかかわっている存在自身を、実存と名づけよう。[…]現存在はじぶん自身をつねにみずからの実存から、つまり、じぶん自身であるか、じぶん自身ではないかという、みずから自身の可能性から理解している。」(『存在と時間』第4節より)
 
 
 ハイデッガーが『存在と時間』の序論にこのように書きつけるとき、ここで問題になっているのは、まさしくソクラテスが語り続けていたのと同じ事柄であると考えることもできそうである。「実存」という語に賭けられているものが「自己への気づかい」であることに留意するならば、人間の存在の本質を「実存」として捉え、この「実存」の本来的なあり方を探ろうとする『存在と時間』の実存論的分析は、ソクラテスが決定的な仕方で開始した「精神の革命」がいかに力強く、不朽のものであるかを証する一例となっていると言えるのではないだろうか。ソクラテス自身の言葉をふたたび借りるならば、「精神を立派にすることに留意せよ」、すなわち、言葉の本来的な意味において「おのれ自身」であれというメッセージは、哲学の営みが続いてゆく限り、いつまでもこの営みのうちで鳴り響き続けることだろう。このことを確認した上で、私たちは、『存在と時間』が出版された1927年周辺の文脈へと話を向け直すこととしたい。
 
 
 
 
[今日使われるような意味で「実存」の語をはじめて用いた哲学者であったキルケゴールにとって、ソクラテスの存在は非常に大きな意味を持っていました。今回、「死への先駆」や「気づかい」概念との関連において哲人ソクラテスの生きざまについて論じられたことは、今後の『存在と時間』読解との関連においても重要なことだったのではないかと思っています。というのも、「人間についてア・プリオリなものを発掘する」という『存在と時間』のプログラムとの対照のうちで捉え直すことによって、私たちは、ソクラテスプラトン(そして、アリストテレス)といった人々が行っていた探求にどのような意義があったのかを、改めて根底的な仕方で理解することができるからです。ソクラテスプラトンについては、今後も読解の随所で参照することになるかと思います。2022年は、主題的にも哲学の中核をひたすら突き進んでゆくことになりそうですが、探求に付き合ってくださっている方がいることには、本当に感謝です。引き続き励んでゆく予定ですが、このブログを読んでくださっている方それぞれの哲学の探求が、実り豊かなものであらんことを……!]