イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

真理とは何か

美とは何か、あるいは、美術館と映画館

本質の探求というこの主題については、やはり一つ、腰を据えて具体的なケースを扱ってみなければなるまい。 問い: 美とは何か? この問いは哲学者にとってはまず間違いなく、単なる一つの具体例以上のものである。なぜというに、美と真理との間に根底的なつ…

道の成就には時間がかかる

論点: 私たちは大抵、あるものの本質を知らないままに、そのものについて、それが善いとか悪いといった判断を下している。 たとえば、知的に鋭敏なところのある若者は、「人間なんてくだらない」といった類の人類ヘイトに陥りやすい。下手に物分かりがいい…

「理性的動物」と「存在の牧人」

「本質の真理」が関わる問題圏の射程を感じ取るために、もう一つ具体例を挙げてみることにする。 問い:ソクラテスとは何か? 答え:ソクラテスは人間である。 まずは、ソクラテスという個体、あるいは個人に関して、「そのものは何であるのか(ト・ティ・エ…

本質の真理

前回までとは異なった角度から、問題にアプローチしてみることにする。 問題提起: 真理とは、本質の探求とも関わりを持っているのではないだろうか。 本質とは、そのものがまさにそのものであるところのゆえんのもの、「〜とは何か」という問いの答えとなる…

「素晴らしき新世界 Brave New World」

問い: 人間の語りうる真理として、命題の真理以外のものはありうるのか。 もしもこの問いへの答えが「否」であるとすれば、その時には「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」が絶対的な掟となって、人間が行う「真理の探求」としては、自然科…

ニヒリズムは、今日……。

論点: 人間が世界について語りうることは、自然科学の知だけに尽きてしまうのだろうか。 ウィトゲンシュタインが生きていた時代、二十世紀前半のヨーロッパは、根底的なリアリティ喪失とでも呼ぶべき精神的危機に直面していた。 このことはたとえば、「ヨー…

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の主張

ところで、真理を「真なる命題の集合」に限定して考えるという真理観は、『論理哲学論考』を書いた時期のウィトゲンシュタインのものでもあったように思われる。少しだけ長いが、彼の言葉を引用してみることにする。 「語りうること以外は何も語らぬこと。自…

真なる命題の集合

論点: 哲学が真理について語ることができるのは、「真理とは、真なる命題の集合である」ということに尽きてしまうのか。 問題を整理してみる。われわれが作ることのできる命題は無数にあるけれど、その膨大な命題群の一部は真である、つまり、世界の実情に…

命題の真理

探求の出発点: 真理とは、命題の真理のことを言うのであろうか。 たとえば、次のような命題を取り上げてみる。 命題: ソクラテスは人間である。 この命題は、真であると言われる。なぜならば、歴史上実在したあのソクラテスなる人物は、言うまでもなく人間…

真理とは何か

今回の問い: 真理とは何か? まずは前回の探求との関連から、次の点を見ておくことから始めることとしたい。 真理を語る者についての言明: 善き師は、真理を語るはずである。 師とて人間であるゆえ、間違いや不十分な点ももちろんあることだろう。それでも…