イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「貴重な友人」

「わたしにとって、わたし自身の倫理的欠陥を指摘してくれる友人の存在はかぎりなく貴重である。」 ここでは、インターネット上のコミュニケーションはとりあえず除外して、直接に対面する生の人間関係に話を限定することにします(前者には別枠での考察が必…

大人と子供

ここで一つ、次のような問いについて考えておくことにします。 「倫理的に欠点のある人間が、倫理について語ってもいいのだろうか。」 直観的には、何か欠点があるならば、まずは自分自身のことを正すべきなのではないかとも思えますが、この問いに対しては…

相対性をめぐるアポリア

倫理をめぐる「融通のきかなさ」について、もう少し考えてみます。 1. 倫理は時代と場所によって変化する、相対的なものにすぎない。 2. 倫理は絶対的かつ普遍的なものであり、変化することがない。 現代において圧倒的に支持が多いのは、おそらく1の方であ…

人間における非人間的なもの

炎上の無根拠性テーゼ :たとえ何らかの倫理的過失を犯した人間がいるとしても、その人間を罪人として断罪し、個人または集団で非難の集中砲火を浴びせることには根拠がない。 すでに見たように、この命題を「ほぼア・プリオリに真」であるとみなせるとすれ…

「ほぼア・プリオリに真」

罪の普遍性テーゼ: すべての人が、何らかの倫理的欠陥を持っている。 もう少し、この命題について考えてみます。 自分自身が倫理的欠陥にまみれているので、書くのもはばかられるところがありますが、筆者はこれまで、倫理的欠陥のない完璧な人間に出会った…

罪の普遍性テーゼ

受け入れのモメントについては、次の点を思い起こしておくのが有益であるように思われます。 「他者を糾弾しようとするわたし自身もまた、倫理的欠陥の持ち主にほかならない。」 他者を人でなしであると宣告するためには、宣告する自分自身が「まともな人間…

無条件の受け入れ

これまで剥奪と暴力のモメントについて見てきましたが、ここからは、これらのものに対するオルタナティヴの可能性を探ってみることにします。 「無条件の受け入れが、議論と対話における平和の条件である。」 議論している相手を、自分と同じ人間として受け…

迫害には根拠がない

「人間であることの権利の剥奪は、究極的には根拠がないままに行われる。」 いじめの現象を例にとって考えてみます。子どものうちでも、確かにいじめを受けやすい性質というものはあり、それは、身体上の性質から精神上の性質にわたり、さまざまなものがあり…

剥奪と暴力

裁きの宣告: そんなことをする(言う)なんて、あなたは人でなしだ。 「裁きの宣告は、人でなしとみなされた人間から権利と尊厳を剥奪する。」 通常状態の人間の世界においては、「互いに危害を加えてはならない」という原則(これを危害原則と呼ぶことにし…

宣告と炎上

前回に用いた「人でなし」という語については、もう少し掘り下げて考えてみる必要がありそうです。 裁きの宣告: そんなことをする(言う)なんて、あなたは人でなしだ。 人でなしとは非–人間を、あるいは人間以下の存在を指し示す言葉です。この表現のうち…

議論することの危険

ここで一点、注目しておいたほうがよいと思われる論点を指摘しておくことにします。 「倫理についての議論は、感情的な反応をきわめて引き起こしやすい。」 そもそも、議論というもの自体にこの懸念が常に付きまとうという点は否めませんが、こと倫理となる…

究極の本音

動物食の例からもう一つ、今回の探求に関係のある教訓を引き出しておくことにします。 「感性的なものと理性的なものの衝突が、倫理的な問題の核をなす。」 この点については多数の人が同意するのではないかと思いますが、動物の肉はおいしい。そして、この…

底なしの問い

動物食の例から、もう一つの帰結を引き出しておくことにします。 「倫理は私たちを、私たち自身をめぐる論争のうちに巻き込まずにはおかない。」 くり返しになってしまいますが、ここでは動物食の可否を論じたいわけではありません(詳しくは、別の機会に検…

動物食の例

倫理的に生きようとする人には時に(しばしば?)、次のような疑問を投げかけたくなる瞬間が訪れます。 「倫理なんて、すべて忘れて生きる方が楽ではないのか。」 一言でいえば、倫理はストレスの原因になる。思い悩んで悔い改めて、それでも何もできず、胃…

利益に反するライフスタイル

問題はつまるところ、誰もが知っている次のような論点に帰着するように思われます。 「倫理的に行動することは、自分の直接の利益にはつながらないことがありうる。」 パンを分け与えることは、自分の飢えを承認することである。無償で善を行うことができる…

消えない懸念

前回の記事で論じたことは、個人を超えた人間関係のレベルにおいても当てはまるのではないか。 「わたしとあなたの関係においても、わたしの幸福という観点を除き去ることはできないのではないか。」 わたしが無理をしながら、ただあなたの幸福だけを望むと…

倫理と幸福

前回までで見知らぬ他者をめぐる考察がひと段落したので、ここで別の角度から問いを提起することにします。 「たとえわたしが倫理的に生きることを望むとしても、幸福の原理そのものを放棄することはできないのではないか。」 この不可能性はおそらく生きて…

開かれそれ自体を思考すること

前回までで取り上げたかったトピックはとりあえず一通り扱いましたが、終わりに次の点を確認しておくことにします。 「想像を超えて現実のうちに足を踏み入れた時に、本当の意味での倫理がはじまる。」 見知らぬ他者の苦しみについて想像することは、おそら…

脱中心化の線

私たちの探求は、倫理上の問題が存在の問いと重なる地点に至りました。 「倫理は、脱-現前の運動を人間に要求する。」 その場にいること、現れていること、そして、そのようなものとして知られていること。「見知らぬ他者がどこかで苦しんでいるのではないか…

現前に抗すること

考察を進めるために、ここでは近世の哲学者であるウィリアム・バークリーの命題を手がかりとして取り上げてみることにします。 「存在するとは、知覚されることである。 Esse est percipi.」 ウィリアム・バークリー この命題はバークリーのみならず、カン…

いなくなってしまった人たち

サバイバーズギルト、すなわち、生きつづけていることへの罪悪感に関連して取り上げておきたいトピックがあります。 「私たちは、いなくなってしまった人たちのことを忘れながら生きている。」 学校や職場、その他さまざまな社会空間のうちで、そのメンバー…

サバイバーズギルトについて

前回に論じた、見知らぬ他者の苦しみをめぐる原理的なアポリアは、ある根源的な感情をめぐる問題につながっているのではないか。 「私たちは、罪悪感なしに生きてゆくことが可能だろうか。」 ここでは、サバイバーズギルトという概念を導入したいと思います…

原理的なアポリア

この辺りで、倫理をめぐる原理的なアポリアに目を向けておいた方がよいかもしれません。 「倫理は、不可能にも見える贈与を行うことを人間に求める。」 これまで、見知らぬ他者の苦しみに対して何ができるのかという方向で探求を進めてきましたが、この方向…

幸福であることの残酷さ

本題に戻ります。 「たとえ、見知らぬ他者の苦しみがわたしには全く関係のないものであっても、わたしはその他者にできることをした方がよいのではないか。」 すでに論じたように、わたし(私たち)が自分でも知らないうちに他者を傷つけている可能性はある…

「倫理的なエゴイスト」

ここで少し話題はそれますが、次の点について論じておくことにしたいと思います。 「現代の人間は、倫理的なエゴイストとして生きるという可能性にさらされているのではないか。」 倫理的なエゴイストという言葉で、ここでは、何が正しいかを知ってはいても…

血は慎重に隠される

前回の論点をもう少し補足しておくことにします。 「暴力は、見えないところで振るわれる。」 前回に挙げた例でいうならば、近世ヨーロッパの人びとは、自分たちが急速に獲得しつつある豊かさが、黒人奴隷をはじめとする多数の見えない他者たちの犠牲の上に…

歴史が私たちに語ること

それにしても、苦しんでいる見知らぬ他者を助けたほうがよい理由とは何だろうか。その根拠はさまざまに考えられますが、まずは次の点を挙げることができるかと思います。 「その他者は、私たちのことが原因で苦しんでいるかもしれない。」 たとえば、精神の…

渇望の二択と倫理の二択

ここでは、二択の状況を二組提示することで議論を整理してみることにします。 渇望をめぐる二択: 1.わたしは、他者を求める。 2.わたしは、他者を求めない。 この二択のうちのどちらを選ぶかは、それぞれの主体の自由に任されています。たとえば、筆者自…

スピノザ主義を問いなおす

今回の探求で検討したいのは、次のような言明に他なりません。 コナトゥスの自己表明: わたしは、わたしに生まれてよかった。 この家族に生まれてよかった。 この国に生まれてよかった。 まず最初に確認しておきたいのは、こうした言明のうちにはもちろん、…

想像力は必要か

考察をはじめるにあたって、まずは次の点を確認しておくことにします。 「苦しんでいる他者は、現実に存在する。」 わたしもあなたも知らないところで、苦しんでいる人がいるのではないか。このように言った時には、当然、次のような返答もありうるものと思…