イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ジョン・ドウとハリウッドの暗黒面

フィクションに関する「危険」: フィクションには、その作品を誤読あるいは誤解してしまうという危険が常に存在する。 たとえば『源氏物語』を読んで、男女の愛というものは、どんな場合であってもひとたび生まれてしまったらそれを追いかけるしかないのだ…

性愛は人を殺す

前回までに論じたことを踏まえつつ『源氏物語』に立ち戻ってみる時、私たちは、この作品を以前とは異なった視点から眺め直すように促されます。 『源氏物語』は、光源氏とその恋人たちのきらびやかな恋の物語を描いています。しかし、この作品がその一方で、…

芸術といわゆる「善悪の彼岸」

フィクションに関する一事実: およそいかなるフィクションにおいても、因果応報の原則が働いている。 夜神月が大量殺人によって「新世界の神」になることが決してできないのと同じように(前回の記事参照)、私たちは、因果応報の原則が機能しないような作…

夜神月は死なねばならない

ソフトな反フィクション論の主張: ある種のフィクションは、鑑賞者の悪徳の形成を促してしまうがゆえに批判されるべきである。 上のような主張に対しては、次のように反論してみることもできそうです。 ソフトな反フィクション論への反論: 通常のフィクシ…

『源氏物語』から考える

フィクションの存在に疑義を申し立てる二つの立場: 1. ハードな反フィクション論……およそ、ありとあらゆるフィクションを批判する。 2. ソフトな反フィクション論……数あるフィクションの中で、一部のフィクションのみを批判する。 2の立場の主張をさらに突…

「私は、合鍵の話をしているのですよ」「ええ、私もです」

フィクションは悪なのではないかと主張する立場には、大まかに言って次の二つのものがあると言えそうです。 フィクションの存在に疑義を申し立てる二つの立場: 1. ハードな反フィクション論……およそ、ありとあらゆるフィクションを批判する。 2. ソフトな反…

問題への予備的考察

最初に、次のような疑問について考えておくことにします。 哲学者への疑問: なんでわざわざ、フィクションが悪なのかとか考える必要あんの?別に面白かったらそれでいいんじゃね? この疑問に対しては、たとえば、次のように答えることができるかもしれませ…

フィクションは悪か

そういうわけで、哲学です。早速ではありますが、今回探求したい問題は、この記事の表題の通り、「フィクションは悪か」というものです。 おそらく、現代人に「あなたは、フィクションは悪だと思いますか?」と尋ねたとしても、ほとんどの人は戸惑うか、ある…

もはや哲学しかない

「……あれ?どうしたんですか。」 色々考えててもしょうがないから、次回からまた丁寧語文体に戻して、哲学を始めることにしたのである。僕はもうすべてを諦めて、ただ哲学するだけである。今日は短いけど、この辺りにしておくことにする。ぐすん……。

出版社から連絡は来た。しかし……。

突然だが、僕はこのブログの今後の方向性について、ここで一度シリアスに考えておかねばならぬ。まぁ、どっちにしろ、考えても事態がいい方向に向かうことは期待できなさそうではあるが、それでもやっておかねばなのである。 「……?何かあったんですか?」 …

社会についての考察のおわりに

私たちは前回までで、社会への同意という地点に辿り着きました。いささか急ではありますが、今回の探求は、ここでひと段落ということにしたいと思います。 というのも、この同意がどのようなものであるのかを考え始めると、私たちは「人間は社会の中で生きて…

社会契約と心のリミット

「汝は社会を望むか?」という問いに対して、人間はNOと答えることができません。なぜなら、それは生存することそのものを諦めてしまうことを意味するからです。 社会から個人を守るという考え方はとても重要なものですが、そのようにして守られる個人それ自…

われわれは共生する、望むと望まざるとに関わらず

ケアの関係(前回の記事参照)のただ中においても、人間は、次のような問いとはどこかで向き合い続けることになります。そして通常の場合、この問いから逃れることは誰にもできません。 ケアされる人間への問い: 汝は、社会の存在を望むか? ケアされる人間…

ケアをする人、される人

引きこもるという体験のうちでは、公共圏からの圧迫を和らげる役割を果たしていた親密圏(詳細については、以前の記事を参照)のプレゼンスが、極めて大きなものとなってきます。家族や恋人、友人同士の関係はこの時点から、ケアする人とケアされる人の関係…

アガンベンからトマス・アクィナスへ

引きこもる人間の問い: 純粋愛なるものは、存在するか? この問いがいったん危機的なしかたで問われてしまった後には、ひとはもう元の場所に戻ってゆくことはできません。なぜなら、この問いは本来、引きこもる彼あるいは彼女のものであるだけでなく、すべ…

純粋愛の問題

引きこもることの苦しみの内実: 引きこもることの苦しみとは、実存的な苦しみである。 社会の次元はその危機的な尖端において、実存の次元の深淵に接することになります。 この次元において問題となるのは、もはや政治や経済ではなく、形而上学と神学です。…

実存の苦しみと準-親密圏

もう一度、引きこもることについての考察の方に立ち戻ります(ここでは、概念によって規定されうるような引きこもることの超越論的な構造を問うことが問題なのであって、実際の心と体を通して体験される経験的な「引きこもり」の現象について論じることが問…

公共圏と親密圏

引きこもることの超越論的構造についてさらに考察を進める前に、それに必要な論点を付け加えておくことにします。 社会に関する一視点: 社会には、公共圏と親密圏という二つの領域が存在する。 有用性の論理からの要求は人間にとって、時に非常に厳しいもの…

「最後の手立て」

有用性の論理によって人間を絶えまなく駆り立てる惑星規模の機構のことを、マルティン・ハイデッガーはゲシュテルと呼びましたが、このゲシュテルの中で崩れ落ちてゆく人間は、最後の手立て(?)に訴え出ることになります。 最終手段: 引きこもることは、…

存在の論理と人類の歴史

有用性という観点から見た人間と社会との関係: 人間は、「有用たれ!」という呼びかけによって社会に繋ぎとめられている。 人間が社会から受け取っている恩恵は非常に大きなものなので、いわばその返礼として社会の方から一定の有用性=他者の役に立つこと…

有用性への駆り立て

問題提起: 社会についての絶望は、たとえそれが一見すると金銭の問題とは関係がなさそうに見える時であっても、最終的には金銭の問題に還元することができるのではないか。 ここで言われているのは、いわゆる「お金さえあれば何も問題はない」といった主張…

問題の還元

問題の核心: 人間を最後のところで社会に繋ぎとめているのは、経済的必要性に他ならない。 この論点を掘り下げてゆく上でまず最初に注意しておきたいのは、お金の話というのは、すべての人が非常にセンシティブにならざるをえない問題であるということです…

経済の要求

そろそろ、議論の中核に入り込んでゆくことにしましょう。 問題の核心: 人間を最後のところで社会に繋ぎとめているのは、経済的必要性に他ならない。 「社会なんてもうイヤだ。」それならば、もう全部やめて自由を手にすればいいではないかという思考が人間…

ジャン=ジャック・ルソーの場合

前回論じたことと一部重なりますが、「社会なんてもうイヤだ」という叫びについて、もう一つ論点を付け加えておくことにします。 社会の問いに関するもう一つの論点: ひとが社会について絶望する際には、⑴ 社会が間違っている ⑵ その人自身が間違っていると…

青の色彩、仮象あるいは実在としての

ところで、「社会なんてもうイヤだ」という叫びに対しては、次のような論点を考えておくことも必要であるかと思われます。 社会の問いに関する一論点: どこか別のところによりよい場所があるという可能性は、常に存在している。 職場の例で言えば、仮にある…

絶望の二つの例

「人間は、社会の中で生きてゆかなければならないのだろうか。」この問いについて考え始めるに当たって、まずはこの問いが何であるかよりも、何でないかという点から始めてみることにします。 考察の開始点: たとえば、恋愛が人間をしてこの問いを問わせる…

社会やめますか

社会をやめたい。人間はポリス的動物であると言ったのはアリストテレスですが、その人間には、ポリスなんてもう沢山だという倦怠感が時おり訪れることもまた事実です。 僕は絶望した。もうムリだ。なんで、他の人たちは大丈夫なんだろう。理由とか聞かれても…

偶然性についての考察のおわりに

最後に、最初の問いにもう一度立ち戻ってみることにします。 「わたしには、生まれてこないということもありえたのだろうか。」 様相の不可知テーゼから言えるのは、人間がこの問いに対して、自分の出した答えこそが絶対的に正しいと主張することは不可能だ…

発散する真理ふたたび

わたしの誕生に関する、様相の不可知テーゼ: わたしの誕生という出来事に関しては、必然性言明(A)も偶然性言明(B)も、絶対的に正しいものとして、その妥当性を証明することは不可能である。 上の不可知テーゼについてさらに指摘しておきたいのは、たと…

懐疑と狂信

わたしの誕生に関する、様相の不可知テーゼ: わたしの誕生という出来事に関しては、必然性言明(A)も偶然性言明(B)も、絶対的に正しいものとして、その妥当性を証明することは不可能である。 すでに、相当に理屈めいた議論になってしまっていますが(哲…