イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

本質の真理

前回までとは異なった角度から、問題にアプローチしてみることにする。 問題提起: 真理とは、本質の探求とも関わりを持っているのではないだろうか。 本質とは、そのものがまさにそのものであるところのゆえんのもの、「〜とは何か」という問いの答えとなる…

「素晴らしき新世界 Brave New World」

問い: 人間の語りうる真理として、命題の真理以外のものはありうるのか。 もしもこの問いへの答えが「否」であるとすれば、その時には「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」が絶対的な掟となって、人間が行う「真理の探求」としては、自然科…

ニヒリズムは、今日……。

論点: 人間が世界について語りうることは、自然科学の知だけに尽きてしまうのだろうか。 ウィトゲンシュタインが生きていた時代、二十世紀前半のヨーロッパは、根底的なリアリティ喪失とでも呼ぶべき精神的危機に直面していた。 このことはたとえば、「ヨー…

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の主張

ところで、真理を「真なる命題の集合」に限定して考えるという真理観は、『論理哲学論考』を書いた時期のウィトゲンシュタインのものでもあったように思われる。少しだけ長いが、彼の言葉を引用してみることにする。 「語りうること以外は何も語らぬこと。自…

真なる命題の集合

論点: 哲学が真理について語ることができるのは、「真理とは、真なる命題の集合である」ということに尽きてしまうのか。 問題を整理してみる。われわれが作ることのできる命題は無数にあるけれど、その膨大な命題群の一部は真である、つまり、世界の実情に…

命題の真理

探求の出発点: 真理とは、命題の真理のことを言うのであろうか。 たとえば、次のような命題を取り上げてみる。 命題: ソクラテスは人間である。 この命題は、真であると言われる。なぜならば、歴史上実在したあのソクラテスなる人物は、言うまでもなく人間…

真理とは何か

今回の問い: 真理とは何か? まずは前回の探求との関連から、次の点を見ておくことから始めることとしたい。 真理を語る者についての言明: 善き師は、真理を語るはずである。 師とて人間であるゆえ、間違いや不十分な点ももちろんあることだろう。それでも…

善き師についての探求の終わりに

今回の探求の結論: 哲学の善き師であるためには何よりもまず、真理を憧れ求めることが必要であろう。 結局、愛知者(フィロソフォス)としての哲学者という語源にふさわしい結論になった、というか非常に穏当、もっと言えばかなりフツーな結論になってしま…

問答の結論

そろそろこの辺りで問答形式も一区切りということにしたいが、最後に確認しておきたい。われら哲学徒たちが求めているのは、真理そのものだったね。 「……そうですね。」 ところで、今話してきたようなことからすると、何かあるものを探し求めている時には、…

「常識的なるもの」の検討

ところで、いま論じていることからは、哲学者が常識なるものに対して取るべき態度についても、学ぶところが少なくないように思われる。 「……といいますと?」 常識とは何だろうか。今ここであらためて意味を定義するとすれば、それは思うに、多くの人、すな…

問答からの帰結

改めて、「大多数の人々」について考えてみたい。もちろんその際、すでに見たように、われわれの誰もが少なくとも何らかの側面においてはまさにその「大多数の人々」であること(5月19日付記事参照)は忘れないようにしつつ、である。 「……了解です。」 さて…

高貴とは何だろうか

この話題については、やはりすべての哲学徒に馴染みのものであるあの言葉を、引かねばなるまい。 先人の言葉: 確かに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。 筆者はいわゆるスピノザ主義の哲学に全面的に共感するわけではないので、こういう時だ…

大衆という、今や古めかしいものとなってしまった言葉について

今回の記事で考えてみたいのは、「大衆」という、最近ではもはや昔ほどには使われなくなってしまった言葉についてなのである。たとえば、「大衆文化」みたいな言い方は、今日ではもはやほとんど使われなくなっているのではないだろうか。 「……ですね。」 日…

非本来性と本来性

さて、必要な前置きを終えたので、あらためて「大多数の人々」なるものについて考えてみたい。この問題について考える上で重要なのは、いわゆる「大多数の人々」なるものが、それ自体で常に存在しているというわけではなく、むしろすべての人が、ある時には…

何はなくとも求め続ける

さて、本題に戻ろう。今度は、哲学者が求めるものについて考えてみたい。今さらではあるが、哲学者たちが全力をかけて探し求めているものとは、何であろうか? 「……それはもちろん、真理とか、何かそういうものなんじゃないですか。」 その通りである。この…

「彼を選んだ君は、間違ってはいない……。」

目下の議論とは関係ないのだが、前回の例は筆者の哲学にとって非常に重要なものなので、もう少しだけ論じておくことにしたい。のび太くんというキャラクターにおいてわれわれがしっかりと考えておくべきは、のび太くんの弱さは強さへと止揚されることなく、…

「我々の流儀」

続けよう。ある人々に対して、その人々が求めているとは異なるものを求めても望みはない(前回の記事参照)のと同じように、そうした人々に、彼らが求めているのとは違うものを提示したとしても、それをストレートに受け入れてくれる可能性は少ないものと思…

日本人とアメリカ人

マルチチュード(前回の記事参照。哲学・人文学に明るい方は、この用語の用い方自体がある種の問題提起をはらんでいることに注意されたし)について問うにあたって、問答形式で回り道をしながら考えてみることにしたい。申し訳ないが、少し付き合ってもらえ…

マルチチュードの問題圏へ

論点: 師の言葉は、弟子であるわたしの存在を超絶したところから語られる。が……。 まず大前提としておきたいのは、哲学とは、自分自身の内なるドクサ(臆見。自分自身がこれまで信じてきたさまざまなオピニオンのこと)との飽くなき闘いであるということで…

超絶と高みについての考察

論点(再提示): 師の言葉は、弟子であるわたしの存在を超絶したところから語られる。 もっとはっきりと言うならば、高みから語られると言ってもよいかもしれぬ。たとえば、師が「AはBである」と弟子に語ったとすれば、弟子が返してはならない反応とは大ま…

レヴィナス師の言葉に聞く

次の論点に進むこととしたい。 論点: 師の言葉は、弟子であるわたしの存在を超絶したところから語られる。 ゆえに、善き師の言葉を聞くに際しては、聞くための心構えというものも必要になってくるだろう。たとえば、レヴィナス先生の代表作である『全体性と…

巨人の肩についての考察

前回の論点を掘り下げるために、まずは次の区別を立ててみることとする。 ①哲学者として、等身大の自分自身が考えていること ②先人たちが言ったこと ③真理そのもの ③に直接にアクセスできるならばそれに越したことがないのは、言うまでもない。しかし、すで…

『意味の論理学』を読みながら

論点: 善き師は彼あるいは彼女自身、善き師(たち)から学んだことがあるはずである。 これはまあ当たり前のことに属するのかもしれないが、それでも大切なことのはずである。師匠には、師匠を教えた別の師匠がいるはずなのだ。だからこそ、自分が誰の教え…

哲学の根本問題

論点: 善き哲学の師は、存在という語に対する研ぎ澄まされた感覚を身につけていなければならないものと思われる。 哲学をやっていない人であれば、「存在する」とか「ある」とかいった言葉を聞いたとしても、特に気にも留めないであろう。しかし、哲学者で…

師に力能は必要か

問い: 善き師であるためには、力能も必要なのか? 筆者自身の哲学を題材にとって、この問いについて考えてみることにしたい。 筆者の哲学においては、存在と力能という概念対が非常に重要な位置を占めている。この概念対を通して言いたいことは超簡単に突き…

潜勢状態としての完全無双

論点: 人間は、目標を設定する時には非常に気をつけなければならない。 これは、何気にめちゃくちゃ重要なことなのではないかと思われる。 たとえばである。ある人が、「同期の仲間たちの間で、一番の哲学者になる」と目標を立てたとする。その人の目標が達…

善き師をめぐる探求を始めるにあたって

今回探求したいのは完全に、前回の探求からの引き続きの主題である。 今回の問い: 善き哲学の師であるために、必要なことは何か? 「変わりばえしないじゃん」と、ツッコまれる向きもあるかもしれぬ。あるいは、ツッコミすら皆無の完全沈黙空間でただ延々と…

死についての探求の終わりに

そろそろ、今回の探求に一区切りをつけておくことにしたい。 結論: 善き師として生きることが、哲学者が死に対して行いうる最大の抵抗である。 途中から、死については全く語られなくなってしまったが、これはある意味では事柄の本質から出てきたことであっ…

「海辺の街を歩くように……。」

論点(再提示): 弟子によって越えられることが、恐らくは師の最後の仕事である。 師は、自分が教えてきたことを弟子が自分のものにするまでは、弟子が勝手なことをするのを許さないであろう。しかし、師が言葉の真の意味における人間であるならば、弟子を…

『差異と反復』をめぐって

論点: 弟子によって越えられることが、恐らくは師の最後の仕事である。 哲学の師はすべからく、自分自身が築き上げた哲学は、本質的には、自分一代限りのものであると覚悟しておかなければなるまい。 未来には、予想もしていなかった何かがやって来てしまう…