イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

全部やめてしまいたいけれど

ここで対話という主題を離れて、次の論点について考えてみることにします。 「生きることとは、その人に与えられた苦しみを生きぬくことなのではないか。」 苦しむことからは誰でも逃れたいと思うのが普通です。そして、もし苦しまなければならない場合でも…

弁証法の秘密

傷の普遍性テーゼ : 傷は、実存することの真理とかかわりを持つかぎりにおいて、私秘的なものでありながら普遍性のモメントにあずからずにはいない。 上のテーゼについて、もう少し掘りさげて考えてみることにします。 わたしの痛みをあなたに言うことがで…

傷と真理

わたしとあなたが対話するとき、そこには第三の審級としての真理がつねにとどまりつづけているというのが、前回の記事の論点でしたが、ここには、傷という主題も関わってくることに注意を向けておくことにします。 「わたしの傷とあなたの傷は、ともに第三の…

第三の審級

わたしとあなたをめぐる対話において、哲学の観点からすると、次のモメントがきわめて重要になってきます。 「わたしとあなたは、真理において語る。」 語られることは、多かれ少なかれ、かならず何らかの真理において語られます。「2+3=5」を「2+3=4」…

移民の女性から言われたこと

わたしとあなた、自己と他者をめぐる対話について、もう少し考えておくことにします。 「他者であるかぎりの他者とは、まずもって、わたしが求める他者ではなく、わたしを求める他者である。」 わたしがあなたを求めているならば、わたしとあなたの関係は、…

わたしの超越から、あなたは語る

さて、対話のさいには、次のようなモメントに目を向けておくことも重要であるように思われます。 「わたしの超越から、あなたは語る。」 わたしには、あなたが何を感じ、考えているのかをそのまま知ることは、原理的にいってできません。ただ、あなたの表情…

対話の銀河

わたし自身の考えていることをあなたに伝達すること、また、あなた自身の考えていることをわたしが理解することの困難について、もう少し考えてみることにします。 「それぞれのコギトは、想像も及ばないほどに膨大な過去の記憶に取り巻かれつつ、思考してい…

私秘性と無限

前回に見た私秘性という概念について、根本のところに立ち戻りつつ考えてみることにします。 「わたしにはあなたに、わたしの感じていること、考えていることを、そのまま伝えることができない。」 わたしのコギトとあなたのコギト、すなわち、わたしの意識…

隠れた顔に向かって、確信は深まりつづける

1.神については、人間にはその存在を論証することができず、人間は、神の存在については信じるしかない。(無知のモメント)2.それにも関わらず、人間は、神自身が人間に働きかけているとしか考えられないような瞬間に遭遇する。(知のモメント) 1の命題…

神の存在証明、あるいは理想の結婚論

1.神については、人間にはその存在を論証することができず、人間は、神の存在については信じるしかない。(無知のモメント) 2.それにも関わらず、人間は、神自身が人間に働きかけているとしか考えられないような瞬間に遭遇する。(知のモメント) 上の二…

無知と知の逆説的な衝突

神の愛は、人間の弱さがその極点にたどりつく瞬間にこそ示される。ここにおいては、おそらく「示される」という言葉の意味のうちに踏みとどまっておく必要があるのではないか。 というのは、ここで示されるのが人間ではなく神の愛である以上、ここで問題にな…

もしも、そのような弱さを抱えた人が……。

人間にとって理解が不可能であるように見えるところで、それにも関わらず、神の愛を信じること。弁神論の完結不可能性テーゼからは、もしも人間が神のことを信じるとすれば、どこかで必ずそのようなモメントに突き当たらずにはいないという結論が導かれるよ…

弁神論の完結不可能性テーゼ

「悪の存在について、私たち人間はどう考えたらよいのだろうか。」実存することの深淵においては、この問いが、耐えがたいほどの痛みのうちで問われることになりますが、ここでは、次のようなテーゼを提出しておくことにしたいと思います。 弁神論の完結不可…

人間の声と神の言葉

「絶対的なものの秘密とは、愛である。」このテーゼについては、古来から人間が発しつづけてきた、次のような声を取りあげる必要がありそうです。 1.「もしも神がいるならば、なぜこの世にこんなにも多くの悪が存在するのか。」 悪という言葉をどのような意…

絶対的なものの秘密

ところで、哲学的探究が向かうべきものとは、絶対的なものにほかならないという見方に対しては、次のような意見もありうると思います。 「人間には、蓋然的なものにとどまることしか許されていない。絶対的なものとは、おそらくは理性の見る夢にすぎないのだ…

蓋然性と絶対性

奇蹟のほうに話を戻しましょう。 「奇蹟は、それを目撃したり、体験したりする人びとに、たった一度の出来事のみによって、それがまさに奇蹟であると信じさせる。」 自然科学においては、基本的には事象の反復にもとづいて理論が組み立てられてゆきますが、…

信仰対象というカテゴリー

信仰対象というカテゴリーは哲学の根幹にかかわると思われるので、ここで論点を整理しておくことにします。 1.信仰対象は、その存在を論証することができない。 2.それにも関わらず、信仰対象は存在論と倫理学にたいして決定的な重要性をもつ。 このような…

奇蹟の概念

恵みの次元について語るにあたっては、奇蹟という概念をここで導入しておく必要がありそうです。 「奇蹟は、論理的には十分に起こりうる。」 ここでは奇蹟を、神の意志による介入によって生じる超自然的な出来事と定義しておくことにしましょう。この意味に…

人生の逆転劇

3.もしすべての人間が自らの自由意志を貫徹させて生きるならば、いずれ地上からキリスト者は消滅する。 3の命題に示されているような事態を望まないキリスト者としては、次のような命題を信じるほかありません。 「人間がキリスト者になることを選びとるこ…

キリスト教の消滅?

1.人間はキリスト者になることを、決して自分からは望まない。 2.キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。 前回に見た2の命題を念頭に置きながら1の命題を眺めていると、次のような帰結が導き出されることがわかります。 3.も…

自由意志と、愛しながらの闘い

さて、前回の命題に加えて、もう一つの命題を提示することで、今回の探求の出発点とすることにしたいと思います。 「キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。」 信仰すること、あるいはより一般的に言えば、何かを信じることは、…

秘儀はリスキーか

今日からの探求のはじめに、一つの命題を提示しておくことにします。 「人間はキリスト者になることを、決して自分からは望まない。」 バプテスマ、すなわち洗礼という言葉は、信仰を持っていない方にもわりとよく知られているのではないかと思います。ヨル…

哲学についての考察のおわりに

今回の探求の終わりに、次の論点を見ておくことにします。 「哲学者がなしうる最高のこととは、他の人々のうちに、真理への愛を燃え立たせることである。」 人間が到達することのできる知恵には、どんな場合にも限界があります。ある人が、これこそが哲学だ…

もしも、10年前の自分が……。

最近の哲学においては見失われがちなトピックではありますが、筆者としては、次の論点も挙げておくことにしたいと思います。 「哲学は、知恵の探求を通じて、探求者自身の魂を完成させることをめざす。」 おそらく、哲学においては、すべての領域が緊密につ…

結婚しよう、ピノコくん

……わかってはいるんだよ、ピノコくん! 「……何が?」 僕にはもう、この人生しかないのだ!哲学に全力で打ちこむのが、僕のこの、一回かぎりの人生なのだ。それなのに、何度もそのことを書かなきゃいけないってことは、僕はまだこの後に及んでも覚悟が決まり…

ポイント・オブ・ノー・リターン

哲学者は真理に仕える召し使いになる必要があるというのが前回の記事の主張でしたが、この点については、次の点を論じておかなくてはなりません。 「真理の道を突き進むことは、喜ばしい生き方であることは間違いないが、時にその道のりはとても険しいものに…

最良の主人とは誰か

哲学を極めるために必要なことを考えるという今回の探究も、そろそろ大詰めを迎えつつある気がします。人生をかけて追い求めてゆくべき課題として、次のものを掲げておくことにします。 「何よりも、真理そのものを最優先しつつ、この人生を生きぬくこと。」…

哲学史との対峙

哲学を極めようとする人には、過去の先人たちとの対話に加えて、次のような課題を引き受けてゆく必要があります。 「自分なりの哲学史の見方を練りあげてゆくこと。」 哲学には、時代とは関係のない永遠の真理を追い求めるという側面も確かにありますが、真…

過去の先人たちの言葉

哲学の道を極めたいと望む人には、いま生きている人々との友情のみならず、すでにこの世を去っていった先人たちとのつながりも欠かせません。 「過去の哲学者たちとの対話が、探究者自身の魂の問いかけをさらに研ぎすましてゆく。」 哲学の問いを問うことは…

恩師からのメール

哲学への愛という目下の話題については、友愛というトピックの重要性について注意を払わないわけにはゆきません。 「哲学のスピリットは、人から人へと伝わってゆく。」 ヘーゲルという人はこのスピリットの次元について、類まれな感性を備えていたように思…

哲学で何よりも大切なもの

さて、哲学の練達への道をたどるにあたっては、とにもかくにも次の点だけは欠かせないように思われます。 「何はなくとも、哲学を愛して愛して、愛しつくす。」 孫悟空は、なぜ、超サイヤ人3の高みにまで達することができたのでしょうか。使徒パウロは、なぜ…

はるかなる道

哲学には情熱の火、あるいは魂の炎が必要であるというのが、筆者の信じるところですが、最近になって必要だと特に痛感しているものが、もう一つあります。 「哲学には、思考のたえざる鍛錬と彫琢が必要である。」 哲学は、頭脳の活発な若者の思いつきだけで…

哲学に炎は必要か

ところで、哲学という営みのあり方について、この機会に提起しておきたい問いが一つあります。 「哲学をするのに、燃える心は必要か。」 この問いに対する答えとしては、次の二つのものが考えられます。 1.必要ではない。理性によるロジックの積み上げだけ…

二者択一の脱構築

「キリストの方に突っ走りすぎたら、誰にも読んでもらえなくなるんじゃないの。」最近、助手のピノコくんからこのように言われることが、たびたびありました。確かに、先月の『メシア入門』では、かなりディープなところにまで、わき目もふらずに突っこんで…

メシア入門のおわりに

メシアの問題系へのイントロダクションを行うという今回の探求の課題はいちおう前回までで果たしたということにしますが、十字架の出来事について考えることができなかったのは心残りです。 それというのも、イエス・キリストの福音は、十字架の出来事のうち…

無知についての筆者の考え

さて、人間が置かれている状況は、次のようなものであると思われます。 1.誰もが、根源的なしかたで無知である。 2.それにも関わらず、誰もが何かを信じつつ生きている。 1のような根源的無知のモメントを自覚するとき、ひとはソクラテス的な知恵を生きる…

根源的な無知について

哲学と神学の境界不分明性テーゼ : ひとは、哲学がどこで終わり神学がどこで始まるのかを、確定することができない。 このテーゼがもたらす結果は、哲学的にみてきわめて重要であるように思われます。このテーゼの系を見ておくことにしましょう。 境界不分…

哲学と神学の境界不分明性テーゼ

死後の問題については、次の論点を見ておくことにしたいと思います。 「死後の問題は、人間が解決するのではなく、メシアによって解決される。」 この問題においては、人間にはイニシアティブを握ることが決してできません。人間にできるのは、ただ、メシア…

メシアは哲学を完成する

死と復活の問題は、メシアと哲学の関係について考えなおすという可能性を私たちに提示しています。この可能性を、ここでは次のように言い表してみることにしましょう。 「メシアは哲学を破壊せず、完成する。」 筆者は、死の問題はメシアなしには曖昧なまま…

死の問題、あるいは哲学への挑戦

死者の復活という出来事には、簡単には汲みつくしえない深い意味が含まれていそうですが、ここでは試みに、次のようにその意味を言い表してみることにします。 「死は、乗り越えられうる。」 神が、キリストを死者の中から復活させたとしてみましょう。この…

パウロの証言

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」 メシアの知らせを告げ知らせ、その後にキリスト教と呼ばれることになる運動の巨大な発火点の一つとなった使徒パウロが、この知らせのコアになる部分について書いている箇…

死者の中からの復活

メシアのことがわかったとして、一体どのようにしてその知らせを信じたらよいのだろうか。この問いにたいしてイエスはくり返し、次のように答えています。 「もし、わたしのことが信じられないなら、わたしの行うわざによって信じなさい。」 言葉だけで信じ…

生き方が変わるとき

メシア的瞬間において信じるという出来事のうちに引き入れられたひとは、そののちに、もうそれまでの生き方を続けることができません。 メシアを信じた人は、すぐに自分のまわりにも、その知らせを伝えようとします。「私たちを救ってくれる人が、この世にや…

メシア的瞬間について

「メシアがこの世にやってきた」という知らせを聞く時には、ひとはメシア的瞬間とでも呼ぶべき時間性にかかわりを持つことになります。 メシア的瞬間は、人間にたいして法外な真理が提示される場にひとを引き込みます。この真理は、理性に反するわけではあり…

すべての人の救いという問題

今回の記事では、次の論点について考えてみることにしたいと思います。 「メシアは、その人がもしも本当にメシアであるならば、苦しみのうちにあるすべての人を救うことができるはずである。」 わたしがたとえ今は苦しんでいないとしても、世界には苦しんで…

終末に愛を

「philo君。軽々しくは言えないことだが、わたしは、この世界の終わりがとても近いのではないかと思っているのだ……。」 ワルシャワの教会でお世話になった、ポーランド人のM牧師とお話しさせていただいたときの言葉です。ポーランド・リトアニア旅行と万物の…

リトアニアの思い出

個人的な話になってしまいますが、万物の終わりというテーマについては、去年の春のポーランド・リトアニア旅行のことを思い出さずにはいられません。 この旅行は、クリスチャンの人とクリスチャンでない人が合わせて30人ほど参加した団体旅行で、僕は助手の…

万物の終わり

本題のメシアのほうに戻りましょう。このテーマについては、危険なポイントであることは否めませんが、次のような時代認識と切り離して考えることができません。 「万物の終わりが、迫っている。」 キリスト者の認識によるならば、イエス・キリストがこの地…

ユダヤ人と私たち

「ユダヤ人とわたしに、何の関係があるのかね。わたしは生まれてからこのかた、ユダヤ人なんて、たったの一人も見たことがないんだぞ。」 それこそ、真相は神さまに聞くしかありませんが、聖書によると、私たちの魂は、ユダヤ人の歴史があったからこそ救われ…

聖書のウルトラツイスト

ところで、聖書には旧約と新約の二つがあることはよく知られていますが、聖書のメッセージをメシア=救世主という観点から一言で要約すると、次のようになるかと思います。 1.旧約聖書……ユダヤ人は、メシアを待ち望む。 2.新約聖書……メシアが来たので、全…