イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

あなたをめぐる形而上学

言語活動を事実的な与えのうちで考えるという、実存論的な課題について

論点: 認識の主体であるわたしを超える他者の実存は、その他者の表現を通して明かされる。 他者は行為によって、また、その他者が芸術家である場合には、色や音や何らかの形態を伴う作品によって自らを表現することもあるだろう。しかし、人間が人間である…

言葉と実存

言語に関する省察を、さらに進めてゆくことにしよう。 論点: 人間は言葉によって、互いの実存について語り合う存在である。 人間の言葉は、この世界のうちに存在する物や、起こっている出来事について語るというだけではない。言葉は、その言葉を語る人間自…

理解と無理解のあいだで

問い: 言葉を語っている他者のうちで行われている意味作用は、認識の主体であるわたしに対して十分に透明になっているか? 注意しなければならないのは、コミュニケーションの透明性という問題については、「透明に見えること」と「本当に透明であること」…

「究極的に透明なコミュニケーション」

『パイドロス』に敬意を払いつつ、パロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)の対比をもう少し進めてみることにしよう。 論点: パロールにおいてはエクリチュールの場合とは異なり、コミュニケーションの透明性を高めてゆくことが原則として可能で…

エクリチュールを再び批判する

論点: 言語活動の本質は、書き言葉よりも話し言葉のうちにこそより十全な仕方で体現されうるのではないか。 哲学の営みは、哲学史の中で眠り込んでいる概念を目覚めさせ、それを新たな舞台の上で再演するという作業を含んでいる。プラトンが指摘した上の論…

言語活動と超絶の次元

論点: 心の内側に語らずにはいられない言葉が溜まってゆく時、超絶の次元が立ち現れてくる。 言語活動の本質について考察を深めるために、さらに考えてみることにしよう。認識の唯一的な主体であるわたしが世界のうちで喜びや苦しみといったさまざまな感情…

聞かれないはずの言葉が、聞き取られるならば…。

論点: 言葉の経験とは、本来は伝わらないはずのものが伝わる経験なのではないだろうか。 他者であるあなたが、言葉を語る。その時にそこで起こっているのは、本来ならば決して起こらないはずの出来事なのではあるまいか。 あなたの「わたしはある」は、わた…

言葉の経験

論点: 他者が他者自身の姿においておのれを告げる経験とは、もしもそのような経験がありうるのだとすれば、まずもって言葉の経験であるのではないだろうか。 他者は顔の表情や身ぶり、そして行為によっても自身を語っている。しかし、人間である限りの彼あ…

孤絶が事実として破られるとき

論点: 他者の認識に関する事実的な与えは、もしその与えが本当になされるのだとすれば、その時には、モナドの孤絶を中断させずにはおかないのではないか。 ライプニッツの表現によるならば、「モナドには窓がない。」すなわち、認識の主体としてのわたしは…

事実的な与えについて

論点: 他者についての認識は、事実的な与えとして与えられるほかないのではあるまいか。 認識の主体であるわたしには、他者であるあなたの意識を直接に知ることは決してできないけれども、わたしがあなたについて知ることは何一つないというのも、言うまで…

確実性と事実性

論点: 他者であるあなたの心の存在をめぐる真理については、確実性ではなく、事実性という語をもって語られねばならない。 近代哲学の伝統においては、真理は確実性というタームと切り離すことができない仕方で語られてきた。ここで確実であるとはすなわち…

他者の「存在」の捉えがたさについて

これまで考えてきたことを踏まえて、以前に指摘した論点を、より根源的な視点から論じ直してみることとしたい。 論点: 他者であるあなたの意識は、認識の主体であるわたしの意識を超えたところに「存在する」。 他者であるあなたは、存在している。そして、…

「あなた」のうちで命を知ること

前回の論点をさらに掘り下げてみることにしよう。 論点: 人間にとって他者を知ることは、自分自身の命を知ることにも等しい意味を持つ。 これまで見てきたように、自己自身であることが本当は他者による承認の次元によって成り立っているものであるならば、…

「他者のいない世界」、あるいは、気づかれることのない残酷さについて

論点: 人間にとって、自己を超絶する他者との関わりは、命の次元そのものを成り立たせるものなのではないだろうか。 たとえば、「わたしは一人でも生きてゆくことができる」といった主張は、実際にはその人が公共世界、すなわち、人間たちが形づくる世界と…

幸福の概念について

論点: 哲学には、幸福の概念を手放すことはできないのではないだろうか。 幸福になるのは野蛮なことなのではないかと考え始めていることはおそらく、一面においては現代の人間の倫理的な進歩をしるしづけているのだろう。 私たちは、苦しんでいる他者が存在…

「あたかも最後に残された自由の方へと、身を投げるように……。」

論点: 究極的孤独とは、言葉の厳密な意味における「死に至る病」である。 以前にも少し書いたように、哲学者としての筆者の仕事はおそらく、哲学の営みそのものが燃え尽きたかに見える廃墟の中から、打ち棄てられてはならないものを拾い上げ続けつつ思索す…

超絶を超絶として思惟するという形而上学的課題について

論点: 人間が超絶を渇望せざるをえないことの必然性は、論証あるいは演繹の対象にはなりえない。 認識の主体であるわたしを超絶する他者とわたしとの関係は、その本性からして当然、わたしの意識の内側にはおさまりきることがない。だからこそ、たとえわた…

承認から超絶へ

論点: 究極的孤独の状態は人間であることの条件を、いわば逆側から照射する。 自明ではあるが、根源的な実存論的事実から出発することにしよう。それは、人間には、自分自身で自身に対して承認を与えることはできない、ということである。 すでに論じたよう…

原初的な承認について

論点: 人間は互いに承認しあうことによって、自分自身が世界に存在することの根拠と赦しを与えあっている。 わたしにとって、他者たちの意識の存在は絶対的な明証とともに証明できるような類のものではない(前回の記事参照)。けれども、言うまでもなく、…

「モナドには窓がない」

論点: 他者の意識の存在は、認識の主体であるわたしによって証明されるような類のものではない。 わたしには、人間の姿をまとって語り、まなざし、行為しているあなたを目にすることはできる。しかし、わたしにそのあなたが見ている風景そのもの、意識その…

まなざしの経験

論点: 他者であるあなたの意識は、認識の主体であるわたしの意識を超えたところに「存在する」。 「あなたはいる」、あなたは「存在する」。わたしにとって、「わたしはある」が絶対に疑いえない明証であるのと同じように、恐らくは、あなたにもあなた自身…

他者の超絶へ

論点: わたしには、他者であるあなたが見、聞き、感じていることを、直接に知ることはできない。 他者の問題について考える上では、この論点は揺るがすことのできない不動のものであると言えそうである。簡潔に言い換えるなら、わたしには、他者であるあな…

あなたをめぐる形而上学

論点: 人間として生きてゆくとは「あなたは誰であるのか」という、他者の問いの問うことへの準備を少しずつ整えてゆくことである。 コナトゥスに由来する自己中心性は生の原理そのものであるため、人間はある意味で、その生涯の終わりまで「わたしとは誰か…

運命について

論点: 人と人との出会いにはすべからく、単なる偶然以上のものに基づいているのではないかと言わせるような何物かが存在する。 おそらく哲学の言葉はその本性から言って、学的な探求の言葉と、その探求の間にときおり漏らされる感慨の表明の双方から成り立…

贈られてきた小包、あるいは関係の不可逆性について

補助的考察を続けよう。 論点: ある人がどのような人間であるのかは、その人と関わってみなければわからない。 人との関わりというのは、喩えるなら、包装された上で贈られてきた小包のようなものである。贈られてきたものの大体の形はわかるけれども、その…

モラリストと不可知論

論点: 人間関係には必ずどこかの時点で、〈同〉の原理が、それのみでは十分ではなくなるような瞬間が到来する。 誰もが知っているように、親しくなるというのはある意味では危険なことでもあって、親しくなってゆく人間同士の間では、距離も縮まってゆく分…

ハイキングと強化合宿、あるいは運命の巡り合わせについて

他者問題にアプローチするために、もう少し準備的な考察を続けることとしたい。 論点: 〈同〉がない場合には、〈同〉を新たに作り出してしまうことで、親しさが生まれることも往々にしてある。 要するに、友人だから一緒にハイキングに行くのではなく、一緒…

友愛の公理としての〈同〉

論点: 近さの関係は、〈同〉の原理によって作り出される。 口当たりのよい現代のクリシェに従うのならば「お互いの違いを知り合うことほど楽しいことはない」となるのかもしれないけれども、社交の原理としては無難であるとはいえ、それは親しい友を作り出…

他者認識の困難と、音楽の例

論点: 他者について知ろうとする際には、絶えず前面に表れ出ようとしてくる自分自身の価値評価の働きに、意識して抗い続けなければならない。 ある人を、ある人自身がそうある通りの姿において知ろうとするならば、わたしは、その人についてわたし自身の観…

痛みの真理

論点: 他者の真理についての問いは、他者との別離あるいは喪失の経験を通して、その切実さを増してゆく。 「わたしはあなたについて、何を知っていたのだろう。」このような問いが痛みとともに切実さを帯びてくるのは、多くの場合、わたしがあなたを失った…